先日の、とある知り合い(Mさん)との会話。
テーマ:「解脱ってなんだろう」。
M「まだまだ煩悩を楽しみたいから解脱はいいやー」
私「えー、別に楽しみを捨てるってことじゃないんじゃないのー?」
M「そうなのー?」
私「私はもう地球はいいから、今世で卒業したい〜」
M「え、でも死んだら光に戻るじゃん?そしたら私は終わるし、来世の私は私じゃないじゃん?」
!!!!!!!
、、、その通りやー!!
個人的な過去世なんてないって、自分でも過去記事で書いてるじゃん!
それなら個人的な来世もないに決まってる!
私が「私」を体験できるのは、今この瞬間だけだー!
今世、楽しみ尽くして死ぬしかない、と気づかされた会話でした。
いやー、ワシもまだまだ修行が足らんわ、、、
Mさん、素晴らしい気づきをありがとうー!!!
むかし飼っていた猫の話
犬の前に、猫の話。
私が、いわゆるペットとして最初に一緒に過ごしたのは、実は猫。
父が何処かからもらってきたオス猫で、16歳で亡くなった。その最期のエピソードです。
晩年はたくさん病気をして、病院通い。最期までの数日は寝たきり状態でした。心の奥底では、そろそろお別れだ、とわかっていたのですが、どうしても認めるのが嫌。きっと後少しは大丈夫、と自分に言い聞かせていました。
そんなある日の夜、もう動けないと思っていた猫がヨロヨロと立ち上がり、歩き出しました。びっくりして見ていると、ずっと過ごしていた部屋を出、階段を上がり始めました。どこにそんな力があったのか。私を従えて、確固たる意志を感じる足取りで、一段一段登る彼。そのまま私の部屋の中央に着くと、これでよし、とばかりにドカッと横になりました。
今日はここで過ごしたいんだ、と嬉しくなって。私も毛布をベッドから引き摺り下ろし、その夜は猫の隣で寝ました。生きているか心配で、打とうとしては何度も目を覚まし、猫を見ました。その度、慈愛のこもった目で見つめ返してくれました。
次の日、私が買い物に出掛けている間、彼は息を引き取りました。
亡骸は軽く、硬く、冷たくて。死ぬことを冷たくなる、というのは、こういうことなのだと初めて体感しました。
そしてああもう、彼はここにはいない、と思いました。
死って何じゃろな?とグルグル考える日々が続いております。
とりあえず悲しみを癒すのってどうするんだっけ、と考えて、思いついたのが食べることと自然の中で過ごす事ね。
先日の仕事がお休みの日(22日)、自然の中でボーッとしたいなー、どこがいいかなーと情報を求めがてら、最近行きつけのシェアカフェへ。
若いカップルが始めた、キッチンカーでのベジタコライスをうまうまいただきました。新鮮レタスがシャキシャキで、やっぱ夏は夏野菜だな!エネルギーが違うな!と元気をチャージして。
カフェの方や行き合わせた友人にワンコのことを話して慰めてもらって。
でもやっぱり今は、人とたくさん話す気分じゃないなあ、と周辺のオススメ癒しスポットを色々教えてもらい。
そのうちのひとつの、カフェ近くの林道をプラプラしてました。
片道2キロ、往復合計4キロくらいを歩いたんですけどね。
その道すがら、ナナフシ(モドキかも)と大量に遭遇しまして!多分、10匹以上はいたと思う。
ナナフシってあれですよ、枝とか葉脈とかに擬態する昆虫ですよ?基本、じっとしてるのがデフォルトでしょ?なのにめっちゃアグレッシブに道を横切って行くの!後で調べたら緑の子もいるらしいけど、私が見たのは全部茶色!小枝ちっくな昆虫たちが、みんな同じ方向に向かって、そそくさと道を横切るのよ!次から次へと!
私がポテポテ歩く、あれ、枝が動いてる、と思えばナナフシ(モドキ)。しかも結構でかい。15センチ以上の子たちが次々現れる、、、エントの行進か?!
これも後で調べたら、明るいところを好む虫らしい。私が歩いてたのは午後2時過ぎで、彼女たち(基本、みんな雌なんですって!)は確かに明るい西に向かってた!
でもねえ。私、別に虫好きではなく。そして集合体恐怖症。集団で一気に出てきたわけではないんだけど、同じものが同じ状況で繰り返される、その概念みたいなものに、集合体恐怖症に近い恐れが湧いてきた。だんだんキモチ悪くなってきて、ついでに道が開けて、陽が差し込んで暑くなって(一番暑い時間だしね、、、)、ここはもう帰ろう、と1時間程度で撤収しました、、、
ナナフシ(モドキ)、沖縄では神の使いと言われるらしいし、臨時収入のサイン、なんて記事も見つけたので、その期待も込めて、こうしてブログにしたためた次第でございます。や、数と金額が比例するなら、結構な額になるはずよ〜!
癒されたんだかどうだかわからんが、何が起こるか予測もつかないのが自然だよなあ、と感じた1日でした。
ん、でもこの文章読み直してみると、けっこう元気になってるかもね?
3日前、愛犬が虹の橋を渡りました。
およそ一年前、獣医さんに余命宣告されていたので、覚悟はしていました。
地球での出会いが終わっただけ、というのもわかってる。
それでも、胸が痛い。
あのこはウチに来て幸せだったかな、
私といて楽しんでくれたかな、と考えてしまう。
家に帰れば無意識に姿を探してしまうし、
ふとした瞬間に思い出しては涙が出る。
でも10年以上前に愛猫を送った時よりは後悔が少ないので、
少しはお別れ上手になったかなあ。
今回のことは愛犬がくれた貴重な機会でもあるので、
死がもたらす悲しみや喪失について、
しばらく考えてみようか、書いてみようかな、と思います。
大体100年、取り替えのきかないたった一つの体と、どう付き合うか。
スピリチュアルとかエネルギーがー、とかいっていると、身体をおざなりにしちゃいがちだけど、うちら、地球で生きてるからね!物質世界で遊ぶには、身体もめちゃくちゃ大事!
仕事のストレスからダラダラして、ウォーキングや体を動かすことをサボっていたら、人生これまでで最高体重を記録してしまい、、、運動やっぱ大事!と思って、ずっと気になっていたピラティスを始めました!YouTube「ブスの美」チャンネルで毎朝15分前後。これがめっちゃ調子が良い!
室内でできるからテキトーな格好で良いし、ベッドの上でできるから思いついたらできるし、トレーナーのミーさんの前説が毎回素晴らしくわかりやすいので、納得して取り組める!あと、私、褒められて伸びるタイプだから(みんなそうよね?)、頑張ってる!とかエクササイズやってて偉い!とかいってくれるのも嬉しい。
三日坊主の私が、何だか3ヶ月くらい続いてます。
以前はもっと歴史の長いヨガの方が良い気がしていたんだけど、ピラティスさん(創始者)も、やるじゃん!
先日は友人がピラティストレーナーなので、彼女の単発講座も受けてきました。ピラティスさんは火事で急に亡くなったから、弟子たちがそれぞれいろんな流派を作っているらしく。ミーさんとはまた違ったアプローチでしたが、それはそれでめっちゃ良くて。
体が整うと、お金や情報の巡りも良くなるので、全部エネルギーなんだなーと実感します。
ミーさんの最新刊がこちら。本人のビフォーアフターの説得力がすごい。私は数字(体重)より、シルエットが変わる方が正直嬉しいんだけど、確実に結果が出てます。
過去世リーディング
パワーストーンサイキックリーディングのメニューの中に、過去世リーディングってのがあるのですが。
過去世をリーディングすることの意義、ってのが自分の中でもイマイチ納得できていないところがあったんです(そもそも過去世って何だよっていうのはまた別の機会に)。
でも今日、さとう式リンパケアの佐藤先生のYouTubeを見ていて、なぜかちょっと分かった気がしたので、ちょっと頑張って書いてみることにしました。
まずは、過去も未来も観測しないと不確定、という前提があって。この辺は量子力学的に証明されつつある、と。
量子は波(波動)の状態から、観測者が観測すると粒子になるってやつね。
この理屈でいくと、過去世もリーダーが観測することで「みえる」ってことよね。
そして面白いのが、観測者でいるか、いないかは思考である程度、選択できて、観測しない立場を選んで干渉すると、量子は波の状態だということ。つまり逆に、波動なら状況に干渉できる確率が上がる。
いわゆる引き寄せが叶う状況って、この状態?
つまりつまり、過去世リーダーがクライアントにより良い未来の可能性を見出せば、過去も未来もより良くなる確率が上がるってことじゃない!?
良い過去世リーダーとは、この意識がある人だ、と思ったわけですよ。
リーディング中は感覚を開いて、情報を得ることに集中するんですけど。
情報の正確さや詳細であること、ももちろん大事なんだけど、まず何より、クライアントさんのより良い可能性に常に意識を向ける、そんなサイキックリーダーでありたいなあと思ったのでした。
ムック本は軒並み品切れ、、、まあYouTubeでいいのか。さとう式リンパケア、めっちゃ簡単なのでぜひ試してみて。
見てたYouTubeの補足を少し。
さとう式リンパケアって微細な力で体を弛緩させる(ゆるめる)のが特徴だと思うのですが、緊張と弛緩はセットなんですよね。その行ったりきたりの間で遊ぶ(いい表現!)のが体の仕組みであり、なんなら人生だと、めっちゃざっくり説明するとそんな番組だったのですが。
スピリチュアルで陥りがちな考え方に「正しく生きていれば、いいことしか起こらない」みたいなのがあります。
どんなに自分の周波数が上がっても、いいことも悪いことも起こるんだよね。あ、でもそもそも「正しく」生きても周波数は上がらないけどね。
周波数が上がると、観測の視点が多くなったり、高くなるから、いい、悪い、を単なる緊張と弛緩と捉えられるようになる。そしていいこと、を選択して確率をあげることができると気づく。これがうまい引き寄せのルーティーンに入った状態、かな。
過去世リーディングのみならず、サイキックリーディングの醍醐味ってこの視点を提示できることにあるのかな。サイキックリーディングの基本は、ハイヤーセルフやマスターガイドの視点からのメッセージ。
リーダーはそれをいわゆるサイキック感覚(超感覚)でとらえるんだけど、
感覚はそもそも身体(内臓)から来ている、という言及が番組にあったのもすごく興味深くて。ヨガとかにも通じるよなあ。でも「体を動かそう」と思うのは思考だよね?
思考や心(感情)はコントロールできるのかできないのか問題は、今1番の私の関心ごとなんです。
1、2、3、4、5の続き。
スターシード同士ってやっぱり周波数が似るのでしょうね、私はちょいちょい仲間に出会ってきてます。会う回数が増えると、あ、この人そうだな、とわかるようにもなる。だから当たり前にいるものだとだんだん納得してました。
が、一般的にはそうでもないらしい。スピリチュアル業界の人でも、何?って人がまだ多い。ってことにも最近気づいた。
この本は、私がブログを書こうと思ったきっかけの一つ。自分ももしかしてスターシード?って思う人は、とりあえずこれを読んでみればいいと思う。私は当てはまることが多すぎて、逆に拍子抜けしました。今までの逡巡はいったい、、、思いを言語化するってこんなに人を安心させてくれるんだ、と著者には感謝の気持ちでいっぱいです。
宇宙ルールがデフォルトで、地球独自のルールやカルマにはあまり縛られない、が故にいろいろ生きにくいこともありましたが。
その設定で生まれることを決めたのも、結局は自分。
制限を超えて地球での創造を楽しむ、本来の目的を実践していけたらなあと、今は考えてます。
いつまで続くんだろ、このシリーズ。
1、2、3、4の続き。
「宇宙から来た人ね」の3、4年後くらいの話。
また別のチャネラーさんにみてもらう機会がありました。彼女は当時、まだ20代。自分のチャネリング能力を受け入れていて、その力を活かした活動もしていて、いろいろ、すごいなー、と感じたのを覚えています。
私より上の世代の、スピリチュアルという言葉がまだ一般的でない、いわゆる「みえる人」たちやオカルト世代の人は、いろいろ苦労されている方が多くて。みえるもの全部喋ってたら、親に精神病院送りにされちゃった、とかね。「私は頂上まで徒歩で登山だったけど、ちありちゃんはヘリコプターよ!」って言われたこともあります。
そんな私からみても、下の世代の突き抜け感は感慨深いですねえ。みえない世界(いや、みえてる人もいるんだけど)への道は確実に太く、歩きやすくなっていっていると感じます。先輩方には感謝ですね。
話を元に戻して。
そもそもチャネリングしてもらう予定はなく、なぜか出会って、バタバタっとそういう話になったので、ああ、これは何かあるんだな、でも何聞こう、特に無いような、、、と思いながらチャネリングスタート。
「、、、何も見えないー!!」
と言われてしまいました。「うーん、何でだろ、なんか隠してます?」とか聞かれ。
隠すって何だろ、、、隠せるものなの?と考えながら、
えっと、私、地球生活あまりないみたいなんだよねー。だから地球人としては小学生くらいなのかも。だからかな?と話したら。
「あー、なるほど。いや、幼稚園児くらいです!」となり、なぜかそこから見えるようになったらしく、無事チャネリングしてもらえました。
彼女は、自分は地球での転生回数がめちゃくちゃ多い、と言っていて、なるほど今世では年下だけど、地球人としては大先輩なのね、と納得。
チャネリング内容はイマイチ覚えていませんが、地球人チャネラーさんとの付き合い方、みたいなのを認識できた出会いだった気がします。私も2度目だったから、視点の違いがあること、が前提でみてもらえたのは大きかったなー。
そして「地球人としては幼稚園児くらい」はすごくしっくりくる感覚で。この言葉に出会ってから、スターシード特有の問題に直面しても、だってあたし、幼稚園児だもーん!と開き直れるようになりまして。今でもたいへん、重宝しているのでした。
、、、続く。次回で終わりにします。
サハラ・ローズによれば、カルマとは「人間の行いの蓄積」。スターシードにカルマが少ない、もしくはほとんどないことが多いのは、単純に「人間としての経験値」が少ない、もしくはゼロ、だからなのかと思います。
パワーストーンサイキックリーディングでも、カルマに言及することがあるんだけど。その時に「やっぱり私が今◯◯(何かその方にとって好ましくない状況)なのは、カルマのせいなんですね」とおっしゃるクライアントさんもいらっしゃいますが。
、、、うーん、この言い方からは
「あなた、水子供養してないですね?今の状況の悪さはそのせいです。私がお祓いしてあげましょう。つきましては5万円いただきます」
みたいな霊感商法に引っかかりやすい思考形態を表しているなあ、と感じます。
ちなみに諸事情で地球に生まれなかった魂が、母親を恨むことは100%ないです。その体験をしたかっただけですから。この場合のキーポイントは、産んであげられなかった、という母親側の自責の念や後悔の思いです。だから私は堕胎すなわちカルマだとは考えません。
カルマとは、それぞれの魂がダルマ(人生の目的)から外れた時に、それを知らせてくれるサインです。人間としては「嫌なこと」として認識されることが多いので、カルマ、イコール悪い行いの罰、と思いがちですが、そうではないんです。良いサインとしてのカルマも当然あって、この場合はダルマに沿って生きてるよ、いい調子!ってことですね。
もっというと「私」というのは概念で、存在はしてない(もしくは全てが「私」)ので、個人的なカルマ、なんてものも存在しない、と思ってます。カルマとはアカシックレコードやアカシャ、と呼ばれる「人間の行いの蓄積が、情報として保管されている場所」から、それぞれの魂の成長に合わせて引っ張ってきてるだけだと感じます。地球という遊び場で、様々な情報を、様々な角度からみんなで検証しているんですね。ただそれだけ。
なので冒頭の、「スターシードのカルマ」をさらに補足すると、スターシードってのは地球で生きた経験の情報を(ほぼ)持っていない状態で地球を楽しんでいる魂、と単純に定義することもできるなーと思います。個人的には、宇宙由来の魂、よりしっくりきます。
サハラ・ローズのオラクルカード「ヨギック・パス」はインドの古い聖典ヴェーダにインスピレーションを受けたそうで。カルマやダルマといった概念のお勉強にもぴったりだと思います。
1、2、3の続き。
このチャネラーさんとはもう一度、ご縁があったのですが、相性が合わない、しっくりこない感覚がありました。すごく力がある方だとは思うのですが、ご自身の癒しが絶賛続行中!で、そのために活動をされているんだな、でも私の魂の経歴はあまりお役に立ちそうにないな、というか。
カルマがない、と言われたとき、妙に納得する部分と、反発する部分があったんですね。
確かに私、すごく大変で重大な経験とか体験、は今でもないと思っていて。私的には大変で重大なことはもちろんあるんだけど、世の中的にはそこまで大したことないのかなというか、、、別に順風満帆でもないと思うけど。
地球にはマイナスのカルマを作るために生まれてきてない、だからカルマになりそうな事態になると、何だか回避する力が働いている、そんな感覚が常に、今もあります。
のちに、本だったか、webサイトだったか忘れてしまったのですが「スターシードはまだ少数なので、カウンセリングなどを受ける場合は、スターシードに詳しい人がいい」みたいな内容を読みました。
スターシード特有の悩み、みたいなのはやっぱりあって、自分もそのパターンに含まれるのかな、というのがようやく腑に落ちた経験でした。
地球のカルマがたくさんあって、そこに絶賛取り組み中!みたいなチャネラーさんとは合わないんだな、と学ぶ機会でもありました。
、、、続く